私の好きなこと

飽きっぽい私ですが小さい頃から絵を描くのが好きで

分厚い本も読むのは全然抵抗がない人間です

なんとなく感受性が少し人よりもつよいのかなと自分で自負するところがあります

小学校1年生の時は作文10枚も軽く仕上げていきます

書くことに抵抗がなくそこで文字を丁寧さは無いのですが

書いたりこうやってブログを上げることもあまり抵抗を感じていません

むしろ好きなのではないかと思います

このことに気づいたのは思い出したのはやはり自分がどん底になって

どうしようもなくなって床を叩いて自分の人生を恨んだ時に

私には手があるなとそういえば

描くことが好きだった

人の顔マッサージすることが好きだった

メイクで人の顔を化粧してあげるのが好きだった

真っ白なキャンパスに絵を描くのが好きだった

本を読むことが大好きだった

全て自分の手でできるなと

そこからですかね考え方や自分を認めてあげれることになったのは

過去の自分はいちど死んだと思って

また生まれ変わった私としてこれからも自分を頼りに生きていきたいなと思います

死ぬ寸前までパソコンでブログを上げることが今の目標です

果たしてできるのだろうか

自分のまいた種は後から必ず帰ってくる

自分のまいた種

自分がまいた種皆さんの心当たりありますか

例えば人間関係だったらその人のいないところで悪口を言ってしまったり

意外と話をしている時これは後々相手に聞こえるんではないかと感じる

時ってありますよね

自分のまいた種は後から必ず帰ってきます

きちんと足跡をつけて

人は楽しいところに優しいところに寄ってきます

ナーバスなところ悲しみのところそこを避けて行きます

口は災いの元

悪口を聞いてるのも楽しい気持ちではありません

楽しいこと前向きなことそんなことを話をして生きていきたいなと日々感じております

人は自分の苦しい時に助けてくれた人を絶対に忘れない

今朝方Twitterで自分の苦しい時に助けてくれた人を絶対に忘れないと言う文章が上がっていました

その苦しい時に見て見ぬふりした人も忘れないとも

とても心に刺さりました

私も3年前に病に倒れた時に助けてくれた人もいましたが逆に去っていった人もいます

私もどちらも忘れていません

今はその助けてくれた人に感謝をして生きています

あの時助けてもらったから

自分がしんどくてどうしようもない時に助けてもらったから

自分が良い時に出会う人間関係よりも自分がしんどい時にである人間関係の方が私は大事にしています

なんとなくその人の本質を見れるから

自分がしんどい時目を背けず助けてくれた人私はもう心から感謝感謝の毎日です

私がこうして元気でいられるのもほんとに助けてくれた方のおかげです

無視という反応を示す人

挨拶は人間関係の基本中の基本ですね

おはようございます

気持ちよくおはようございますと返してくれる人もいれば小さな声で返してくれる人もいます

まるっきり無視をする人もいます

無視と言うしっかりした反応示して私たちに返してくれますね

人間はやっぱりその日によって気分がすぐれない日もあれば気分が良い時もある

 

この挨拶によって相手の反応を見れますね

この挨拶によって人間関係を潤滑に進んでいくような気がします

でも私は挨拶をされたら自分が面白いことがなかったけど気分が沈んでるけど

相手は全然悪くない自分の問題だから

挨拶だけは笑顔持って元気で

と心がけています

なぜ挨拶をしなければならないのかと言う方もたくさんいると思いますが

これが人間関係の始まりのような気がします

毎日同じ繰り返しをすること

3年前に足が悪くなってから私は自分のルーティーンを決めるようになりました

毎日毎日同じことの繰り返しなので

時々めんどくさいなと思うことも多々あります

私は非常に飽きっぽい人間なのでここ課題にしました

同じことの繰り返して見えてくること

毎日ブログをあげることも休んでいません

毎日毎年同じことをやっているのですが日々違って見えると言う事

気づきがあること

料理もそうなんですね

いつものメニューを作る時もちょっとのことで気づきがあります

だから毎日のやること、本当に侮れない

だから私は毎日やることを自分に

決めてから最後までやり届けようかなと

これが今の最大の目標です

自分で自分を認めてあげる

自分で自分を認めてあげると自信がついてきます

先生や親にも認められたいそんなこと思わなくなります

自分を認めてあげる自己肯定感が高まります

きちんと自分で要所要所のところで選択ができます

自分の人生を選択していく

きちんと決める決断すると言う事

自分を認めているから後悔そこにないんですね

私は若い頃は全然自分を認めてなく他者に承認欲求を求める人間だったな

と振り返っています

誰か私を認めてと

自分で認めてあげればよかったんですね

だって最大の見方は自分なんですね

40歳過ぎてこのことがわかる始末

遅かったかな

今なんとなく決断をしていってるような気がします

ついついキャパオーバーをする自分で勉強好きな自分

他人の気持ちに寄り添い過ぎてるところ

これと決めたら一直線のところ

全部認めたいなぁと最近思うんです

人にはパーソナルスペースがある

どうしてどうしてパーソナルスペースを土足で入ってくる

人がいるんだろう

人間関係には適度な距離感が絶対必要です

一体どうして

自分のやるべきことや進んでいたら他人の事なんて気にならないはずなのに

山アザラシの法則でもアザラシ同士がくっついたら針が痛くて

いい距離感が取れない

これは人間関係に見えるのではないでしょうか

今日とてもしんどくなりブログにあげてしまいました

今日はたっぷり睡眠をとって明日からまたがんばります

アドラーはすべての悩みは人間関係だと言い切りました

本当ですね

パーソナルスペース人と人とが心地良い距離感保っていきたいと思います

与えていくのは失うことではない

私はボランティアを2つ掛け持ちしています

まぁ人によってはどうして賃金が発生しないのと言う方もいます

私は賃金よりもたくさんのものをボランティアをもらっているので

そこは考えていません

人とのつながりをもらっています

誰かが私の持っているものを与えて誰かが助かるそれでいいんではないでしょうか

人は皆誰かの役に立ちたいと思っています

自分が得るよりも自分が与えた方が人は幸せを感じるといいます

与えると言うのは想像力そして忍耐

人が何を求めているか

間違ったギブをしてしまうと人はありがた迷惑になってしまいます

感性いつまでも磨いて。

縦に電話人を助けて初めて幸せを感じれる生き物なんですから

年齢を重ねて日々思う事

51歳

最近はしみじみ半世紀も生きたんだと少し昔を振り返ってます

若い時は自分の長所を伸ばす

歳をとってからは自分の短所に目を向けています

自分の苦手とするところをゆっくりと包みながら生きていこうと考えています

昔よりはなんとなく勢いがなくなってきたなと最近感じています

少し1歩考えるようになりました

少し大人になってきたんですかね

自分がまだ30代だったらなぁと

悪戯に時を振り返りますが

現実の私は壮年期真っ只中

明日も1日丁寧に暮らそう

勉強とともに

 

11月スタート

今朝カレンダーをめくったらもうあと1枚

今年もフルスピードで駆け抜けていく

なんでこんなに1年早いんでしたっけ

来月はクリスマスやらお正月準備?実感がわきません

いろいろあったなあと思いながら朝のルーティンに取り掛かる私

でも今年も何とかクリスマスツリーをこの目で見れそうです

足が治ってからクリスマスツリーを見た時は涙が止まらなく仙台市内で大きなツリーを拝見したのですが周りの人にはかなり怪しく映ったでしょう

何でもない日常がこんなにも感謝する自分がいるとは

来月も健康で過ごせますように

どうかどうか私にまた1年新しい年が無事迎えられますように

感謝感謝