私が高校時代プロテスタントのキリスト教の学校へ通っていました
プロテスタントはカトリックと違ってシスターもいないし偶像礼拝もしません
少しゆるい感じのキリスト教です
普通の高校生より朝の礼拝があるため毎日遅刻との戦いでした
他の宗派にも属さない私はこの礼拝の時間がとても苦痛で聖書は下を向ける読んでるフリと言うとんでもない生徒だったと思います
ただこんな私でも聖書のこの2つの言葉が今になってやっとわかってきました
あなたの隣人を愛せよ
それから神よ、帰ることができるものについてそれを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ
変えることのできないものについてはそれを受け入れるだけの冷静さを与えたまえ
そして変えることができるものと変えることのできないものを識別するだけの知恵を与えたまえ
この2つが寝ぼけながらも印象に残っている聖書の言葉です
卒業して私はこの意味がだんだんわかるようになってきました
とても良い教えを学んだんだなと
あの高校生だった私はこの言葉の意味もわからずただ漠然と過ごしてきたんだなぁと思うとなんだか難しさと恥ずかしさが入り組んで脳裏をよぎります