義父の変化

よく痴呆症の始まりはものがなくなった自分の大事なものがなくなったから始まる

財布がなくなったとは有名な話ですね

最近の義父は食欲は結構戻ったのですが畑にどうしても執着しており自分が具合悪いのに炎天下に飛び出したり車運転しようとしたり何回も同じことを聞いてきたり

病院の先生に相談するともう年だからと言う答え

これが脳が衰えていく瞬間を目の当たりにする

自分が具合が悪いのに普通は諦めるのに畑に執着すると言う事はやはり生きがいであったり生き様だったんだと思います

それから自分の最後をわかってしまったのか人間はこんなに自分の生き様に執着をする

その姿を見せられました

自分の最後も生き様に執着していくのかそれとも諦めるのか私はなんとなく後者のような気がする

自分の最後は爽やかだったと締めくくりたい自分でいる

ただこのブログは最後のベッドに伏せた時までブログの内容を考えているもしかしたらそんな私かなと思いました

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