勝ち負け

昨日のブログで書いた通りバスケ人生だった私は試合に勝つと言うのはかなりウェイトを置いていました

1点差で負けたり同点で最後のフリースローで負けたり

監督には個人のプレーが良くてもチームのみんなに貢献したプレイをしても勝てなければ意味ないとずっと言われてきました

勝ちにこだわっていました

でもだめですね勝ちにこだわっていると。

最近は自分の敵は自分なんだと感じています

何をするのも臆病な自分がいたりほんとにできるのと問いかけてみたり

自分に勝つのが今は私の目標です

過去の自己否定ばかりしてきた自分にあの時の自分より強くなったかなと

でも勝ちにこだわらない普通に生きる勇気

マインドフルネスの生き方、目標にしています

自分にまず勝つのは行動

行動しなくては!

バスケットボール

小学校中学校とバスケットボールに明け暮れていました

青春を費やしたと思う

今では考えられないんですが扁桃腺を持っているためしょっちゅう熱が出て虚弱体質、1ヵ月に1回は授業を早退してくるそんな子供でした

バスケットを始めたらたちまちそんな事はなくなりました

中学ではキャプテンになりセンターになりその重圧でいつの間にか嫌いになったことがあります

むりくり試合に出ると言う足の捻挫には悩まされ試合もサポーターをしくり試合に出ると言う悪循環

勝ちにこだわっていた私はこの足のせいで試合がうまくいかないと足を何度か恨みました

今では考えられないです

今日も歩いてくれてありがとうと皮肉にも今はこの足に感謝しています。

バスケットボールはとてもスマートなスポーツではなく格闘技だと思っています笑

たくさんのことを学んだな

ただつながっていたいから今の私はそれだけなんです

毎週土曜日は温泉のボランティア活動

お客様に聞かれるのがなぜボランティアしてるの?よく聞かれます。

私は人と話すことが大好きなのでこの土曜日が大好きです。

自分が歩けなかった過去や障害を持っていたことは話していません。

自分を語ることはもうやめました。私よりも皆さんの方がもっともっと深いドラマがあったんじゃないかと

なぜと聞かれたら

つながっていたいから。

今の私はそれだけなんです

障害者と共生

昨日夜分のニュースに東京の方で障害者の方が電車を降りるときに

助けてと叫んだそうです。アナウンスの関係で乗り降りの時にトラブルがあったそうです

でも電車に乗っていた周りの方は誰1人助けてくれず見て見ぬ振りのようだったようです

その障害者の方は泣きながら声をかけてくれる世の中になったら困るのにと訴えていました

 

 

私も2年前に歩けなくなってたくさんの方に声をかけていただきました

自分と同じような痛みの車椅子の方だったり杖をついていたりその人たちのことを目に留めるようになりました

たくさんのドラマがあったんだなぁ。困っているようだから声をかけようかなと

明らかに変わったのは私は声をかける人間になっていました

自分がそうされたかったんです

都会感が進むとそのような傾向があると思います

勇気を出して大丈夫ですかと言える大人になってほしいと思います

 

これは若い世代に伝えるメッセージでありこれからの日本の課題

障害者と共生

みんな同じ人間なんですもん

人生で1番勇気がある言葉

人生で1番勇気がある言葉は何だと思いますか

それは助けてだそうです

私もそれを聞いたときになるほどなと思いました

大人になるとなかなか助けてとは言えないですよね

私も1年前に全く足が歩けなかった時にたくさん人を頼りました。

その時感じたのはとても皆さん親切にしていただきました

今まで人を頼ることはなかなかできないことでした。でも全く自分のことができない私は頼るしかなかったです

本当に皆さん嫌な顔せず私を助けていただいて今は感謝でいっぱいです

本当に自分がだめな時人を頼っていいことを覚えました

今悩みでしんどいとか、もう自分がどうにかなっちゃいそうだなとか思ったら

第三者である相談電話だったり、相談所に話をしてみるっていうのも

心が楽になるかもしれません

助けて、SOS勇気を出して

意外と人は頼られると嫌な顔はしないものです

幸せの意味

私の名前は幸せがついている

この名前は祖父がつけてくれた

あまりにもこの名前の大きさに負けて小さい頃は母親に本気で改名してと泣きながら頼んだことを覚えている

最近はこの名前が好きになり幸せ発信と言う頭文字も幸せだ

2年前の入院でますます自己否定をしていた私は今この曲がりなりにも通常の生活ができていることを夢にも思わなかった

この普通のことに感謝している

これが幸せなんだなと思う

なんでこんな当たり前のことに気づかなかったんだろう

皆に幸あれ日本に幸あれ世界に幸あれ

9.11

2001年アメリカ合衆国に対するテロ事件が起こった

当時のニュースを私はまだ鮮明に覚えている

たくさんの日本人も命が奪われた

ニュースではたくさん特集が組まれており

ある女性のニュースに目が止まった

その女性は3人のお子さんのお母さんだった。全員男の子です

親指だけだったそうです旦那さんはビルの中にいて死亡が確認。遺体は親指だけだったそうです

3人めのお子さんはお父さんの顔も知らず生まれてきたそうです

もう大きくなり成人しました。3人ともお母さんは強い人だと言いました

大きくなるにつれてだんだん旦那さんに似てくるのでそれを楽しみに子育てしていたといいます

どんな思いで育てたんだろうどんな思いで生きたんだろう

本当に本当にドラマのような人生

私なんて子供1人でも四苦八苦していたのに

その女性は言います。辛くなったら旦那さんを止めてセンタービルに行くそうです

たくさんの涙や憤りはたくさんあったと思う

天国から旦那さんががんばったねとたくさん褒めてるんでしょうね

改めて尊敬いたします

FMラジオ岩沼このような発信活動するなんて夢にも思ってなかったでしょう

本日FMラジオ岩沼にスマイルトークの番組に出演させていただきました

私の幸せ発信の活動を取り上げていただきました

本当にありがとうございました

感謝いたします

声には自信がないため伝わらなかったのではと反省もしています

番組を聞いた皆様ぜひぜひ感想コメントお待ちしております

盛り上げていただいたパーソナリティーの育村さん、吉田さん、

そして平間さん、FMラジオ岩沼の皆様

ありがとうございました

2年前の初心に戻り振り返ることができあの日の私がこのような発信活動するなんて夢にも思ってなかったでしょう

鬼塚ちひろ

私は鬼塚ちひろさんを知ったのは20年位前になります

彼女の歌を聴いたとき震えが止まりませんでした

たくさん名曲があるのですがその中でも月光や蛍、が大好きです

彼女の持つ世界観や人生観それから声も大好きです

大好きと言うより人生のバイブルです

苦しい時や辛い時彼女の歌に戻ります

彼女は歌を通して私を優しく包んでくれます

彼女の発する言葉が全てリアリティーであり現実味を帯びています

コロナが収束したらいちどライブに行くのが夢です

多分歌を聞いたら泣き崩れそうな私がいます笑

今日も素敵な夜を

おやすみなさいませ

父親

15年前に父を癌で亡くしました

2年前の生きるか死ぬかをベッドでさまよっていた時父親が何回も夢に出て私を助けてくれました

あの夢以来会えていません

会いたいなぁ

主人のお父さんに会うと今も健在で農業を雨の日も風の日も暑い日も毎日続けている姿は真面目だった父親に投影してしまう

ぶれないで自分の仕事をきちんとこなしいつも笑顔

心穏やかな姿は私の活動を支えてくれています

行き詰まったりすると主人のお父さんに会いに行きます

笑顔をもらうと何かエネルギーをもらえます

もしかしたら今私の1番尊敬できる人かもしれない

私は2人のお父さんに感謝して生きようと思父親の愛って何か広くてなんか安心できて例えるなら大きな海みたいな感じ

今私の父は天国でも頑固で融通がきかなくて真面目でそんな生活を送ってるのかな